弟子のためのエチケット

Maria
August 14, 2006

Table of Contents

GN 1183 FD/MM/FM

マリア 3603 6/06

親やティーチャーの皆さん、このレターにある年齢に適した部分はどこでも、子供たちの役に立つなら気兼ねなく分け合って下さい。

表紙のクオート:エチケット、その愛と尊敬のちょっとした行為は、人生というケーキの上に載ったいちごとクリームのようだ。他の人にたっぷりよそってあげなさい。彼らはそれゆえにあなたを愛するだろう!

愛するファミリーへ、

  1.愛の律法の武器に的を当てた「戦術、パート6」を制作していた時、主はもっとエチケットとマナーについて実際的なカウンセルを出版するよう、私の心に重荷を置かれました。御言葉には、愛、自分にしてほしいように他の人にすること、そして優しく思いやり深くなるという主題について多くの素晴らしいカウンセルがありますが、毎日の生活でどのように愛を与えるかの実例や秘訣はあまり出版されていません。

  2.さて、良いマナー、礼儀、エチケットだけが愛を示す方法ではないことは知っています。そして犠牲的に他の人を助けたり、経済的に与えたり、祈ってあげるなどといった、愛の示す他の方法を過小評価するわけでもありません。でも、マナーは愛を示すことのとても大きな一部であり、私たち皆が進歩する必要があります。そして、そのためにはそれほどの努力もいらないのです。良いマナーによって、私たちは他の人に、彼らのことを気にかけ、愛していて、私たちにとって彼らの幸せが大切だということを示します。マナーは私たちの団結と兄弟愛を高める素晴らしい助けであり、共同生活をずっと楽しくしてくれます。

  3.良いマナーとエチケットを学べば、ただホームの生活が良くなり、私たちみんながもっと幸せで愛されているように感じるだけではありません。それは外部の人たちや、私たちと接する羊、友人、コンタクトへの証しと見本も向上させます。実際的な方法で愛を示すための簡単なステップを踏むことは、私たちと共に暮らす人々だけではなく、私たちが出会う誰にとっても大きな意味を持ちます。

  4.あなたの心はとても愛情深く、動機や意図は良いのかもしれません。また、他の人たちに対して愛情深い思いを抱いているかもしれません。でも、実際に他の人にどう愛を示すかを知らないなら、それは無意味です。こんなクオートがあります。「愛は心の中に取っておくためのものではない。愛は与えるまで、愛ではない。」 私たちは愛を与えなければなりません。愛を示さなければなりません。そして、その一つの方法とは、マナーを磨き、昔ながらの礼儀と配慮を学ぶことです。良いエチケットは、愛を示すための実際的な方法です。

  5.残念ながら、私たちファミリーの多くは、良いマナーと一般的な礼儀に幾分欠けています。どうしてそうなのかはよくわかりません。おそらく、礼儀正しいやり方を教わったことがないという理由の人もいるでしょう。また、中には基本的なエチケットを知っているけれども、生活上のプレッシャーにより、この非常に大切な側面を押しのけてしまった人たちもいます。もしかしたら、一緒に住んでいる人と馴れ合いになって、もういちいちちょっとした方法で愛を示すことはそんなに必要だと感じないという人もいるかもしれません。たぶん、面倒くさいと感じるのかもしれません。あるいは、「一緒に住んでいる人たちのためにマナーを磨く必要はない。彼らはどちらにしても私を理解し、愛してくれる」と考えているのかもしれません。

  6.もしかしたら、自分のマナーの基準を上げようと試み、他の人にもそれを励ましたけれど、何も成果がないので欲求不満になったのかもしれません。あるいは、皆とても忙しく、エチケットを実践する時間がないと感じていて、あなたのマナーは大きなホームの中で失われてしまったのかもしれません。もしかしたら、マナーはあなたのやることリストの最後にあるのかもしれません。他にやるべき大切なことがたくさんあると感じるので、どうしてわざわざエチケットを磨こうとしなければならないのかと思うのかもしれません。

  7.ホームにおける積極的な礼儀とマナーの霊を失った理由が何であれ、私たちは方向転換をしなければなりません。それが大切であると気づく必要があります。それも愛を示すことなのです。それは団結と、強い勝利チームに貢献します。それもまた、私たちの証しと、この世に対する証しの一部なのです。それは兄弟愛を向上させます。また、それは愛の律法の武器を積極的に使う方法です。それは子供たちを教え、訓練する方法です。それによって、彼らが愛と思いやりの輝く見本になって大人に成長していけるようになるためです。

  8.私たちは、良いエチケットと良いマナー、礼儀正しくなることは、ただのすると良いことではなく、必要であることに気づかなければなりません。これは義務です。私が言っているのは、「律法の文字」ではありません。私たちのマナーを、気取った、形式的で、「ものすごく堅苦しい」ものにすることを言っているのではありません。私は、シンプルで愛情深いエチケットとマナーを日常生活にとけ込ませることを言っているのです。ただ私たちのためではなく、子供たちや、証しのために。それが主の望まれていることであり、私たちが自分たちに期待すべき事柄です。

  9.友人やアクティブ・メンバーたちがホームに来た時、彼らは愛が行動に表れているのを見ることを期待します。そして、あなたは彼らに対してその義務を負っています。私たち皆が知っているように、それは、日常生活における最も明白な愛と礼儀のちょっとした行いであって、それが愛を表すのです。そして、それを人にわかるように示すには、常に良いエチケットと愛情深いマナーを実践しなければなりません。あなたもあなたの子供たちも、養っている人たちに対して良い見本でいる振りをすることはできません。良い、愛情深いマナーかそうでないかのどちらかです。そして、他の人たちはそれがわかり、気づくものです。

  10.というわけで、エチケットの訓練はファミリーにおいてとても必要とされているので、私たちはそれについて祈ってみました。すると、主とダッドは、それについてたくさんのメッセージを与えられたのです。私たちはそれらのメッセージに目を通して、ここで分け合うべきおもなクオートや秘訣、指導を抜き出しました。また、読みやすく、復習しやすいように、分類別にもしました。きっと、誰でも、自分がすでに良くやっている面もあれば、もっと向上すべき面、また、たぶん、以前はそれが愛と良いマナーの一部であることに気づかなくて、あなたにとってちょっとした啓示となる面もあるでしょう。

  11.多くのポイントは復習となるでしょう。だからこれを読み始め、「これは前にも聞いたことがある」と感じても、意外に思わないで下さい。たぶん、もう聞いたことがあるものも多いかもしれません。でも、もう聞いたことのある多くのポイントを含めているのは、私たちはこれらの面においてまだ向上すべきだからです。残念なことに、良いマナーを習慣づけていなかったために、私たちは最も基本的な基礎を見下すようになりました。ですから、「復習」であるものも心に留めておくようにしましょう。そして読みながら、自分がそれらの面でどう向上できるかを主に聞きましょう。

  12.でも、たくさんの様々なポイントで圧倒されないで下さい。一晩の内にエチケットの達人にならなくてもよいのです。でも、自分が変われるように、自分がこの面で向上するためのステップを踏み始める助けを主に求めるようお願いしたいです。個人的に親切で礼儀正しく良いマナーをしたいと望み、それを目指すようにしましょう。良いマナーと積極的な愛、思いやり、礼儀によって知られるようになろうと決心しましょう。それを個人的なゴール、信条にしましょう。

  13.全部いっぺんに始める必要はありません。このレターにある幾つかの指導を実行し始めて、あなたの習慣となるようにすればいいのです。あるいは、一つの面を選んでそれに取り組んでもいいでしょう。そして、いったんその面で熟練してきたら、次に移るのです。このGNにあることをやり始めるなら人からどう思われるかを心配してはいけません。御言葉を実行し、従い始めること、そこが要点です。そして実行するなら、それはあなたの功績になります。最初はただ御言葉に書かれているという理由だけでそうしているのかもしれず、それは少し謙遜にさせられるでしょうが、次第にあなたの第二の天性になっていくでしょう。

  14.ホーム全体でのプッシュにすれば、もっと簡単でしょう。皆で共に改善に取り組むなら、誰にとっても一番簡単でしょう。皆で共に学び、さらにはこのレターにある助言の幾つかをどう実行しようとしているかを話し合うなら、誰も困った立場に立たされているとか、自分だけが取りざたにされているとは感じないでしょう。私がそう言ったから、そうして下さい。そして、さらに大切なことに、ダッドとイエスがそう言っているのです!

  15.また他にも、これら様々な話題に関する秘訣が載ったセクションは包括的なものではないことを知ってほしいです。つまり、すべての国からのすべてのカテゴリーに、秘訣や指導を一つ残らず載せることは到底できません。それに、主やダッドもそう計画してはいませんでした。彼らは私たちに最も大切なこと、私たちが上達し始められる分野に関するカウンセルをくれましたが、これはAからZまでのエチケットのマニュアルではありません。もしそうだったなら、ずっともっと長かったでしょう。ハ! でもこれは手始めとしてはとても良く、私たちはこれに働きかけ始めることができます。

  16.ファミリーの皆さん、このGNを心に留め、あなたのホームでエチケット革命を起こしてくれてありがとう。けれども、これを皆さんの生活に適用する努力をする時には、ルールや形式にこだわることよりも、が最も大切であるということを忘れないで下さい。常に完璧なチケットになることはないでしょうが、もし愛情深く、思いやりを持とうと努め、これらのルールを知っているならば、私たちは自分たちのできる限りをするでしょう。主が求めておられるのはそれだけなのです。

  愛を込めて、ママ

  17.(イエス:)「エチケット」とは堅苦しく重々しい言葉だが、これには単純な意味がある。あらゆる状況における正しい振る舞いだ。そして愛があるなら、その振る舞い方はもっと単純だ。愛で語り、愛で行動し、愛で反応しなさい。エチケット、良いマナー、礼儀と思いやりはすべて、他の人に愛を表す良い方法だ。その状況でどのエチケットが良いのかわからないことがあれば、愛情深い事をしなさい。愛は決して失敗しない!

注:このGNにある預言からの秘訣や抜粋は、すべて特に表記のない限り、イエスからのものです。

異性間での礼儀

  18.中には時代遅れになったものがあるが、女性のためにドアを開けたり、椅子を引いてあげたり、重い荷物を運んであげたりするのは時代遅れには当てはまらない。

  19.男性よ、あなたに元々備わっている肉体的強さを使って女性への感謝を示す方法を探しなさい。たとえば、女性に助けが必要だと気づいたなら、何かを持ってあげたり、抱えてあげたり、開けてあげたりすることを申し出なさい。

  20.女性よ、ボタン付けやシャツのアイロンがけをしたり、特別なスナックを作ってあげたりなど、男性に感謝を示すためにできるちょっとしたこと探しなさい。

  21.男性よ、女性を優しく扱いなさい。

  22.(ダッド:)女性に優しくし、女性に敬意を払うことによって、男性が一人前の男性らしく振る舞い、女性が男性の助けがいらなくなるほどタフになろうとしなかった時代に戻ろう。

  23.男性よ、もし周りの女性に愛され尊敬されたいなら、あなたも女性を愛と尊敬でもって扱わなければならない。彼らに少しの感謝、そして心からの優しさを示しなさい、そうすれば百倍になって返ってくる。もし周りの女性たちに、きれいだとか、彼らがあなたのためにしてくれることをありがたく思い、彼らを感謝していることを告げる時間を取るなら、女性だって、あなたのために何かしてあげるために特別な努力を払うようになるだろう。

  24.男性よりも女性の方が多い場合、女性はすぐに落胆し、自分の相手は誰もいないと感じがちだ。すぐにネガティブになり、愛されていないと感じるようになる。だから、あなたが少数の男性の一人なら、最善を尽くして女性全員に愛を示し、女性全員に感謝を表すために格別な努力を払いなさい。

  25.(ダッド:)男性は時々、女性が自分に対して感情的になったり愛着を抱いたりするのではないかと思って、女性に愛を示したり、ほめ言葉を言ったり、アフェクショネイトになったりするのを恐れることがある。そしてあなたが女性に対して感情的な気持ちを抱いていない場合、女性にもそういった感情を抱いてほしくない。これはジレンマになることがよくある。だが、この問題を解決する一つの方法は、偏りなくアフェクションと関心を与えることだ。両世代の女性たち全員にほめ言葉を言い、全員に愛情深くなりなさい。そして、複雑になりかけているように思える事が実際に起こったなら、愛情深くアフェクショネイトになるのをやめるのではなく、主の下に行き、どのようにその状況を扱い、何が一番の解決法なのかを聞きなさい。主はあなたに、一番愛情深い方法は何なのかを教えてくれるだろう。

  26.女性たち、これは男性の扱い方に関するちょっとしたアドバイスだ。彼らが理想の男性に見えず、あなたが望むほどあなたのことを感謝していないとしても、男性に対してポジティブになりなさい。公の場でもプライベートな場でも男性のことを良く話すなら、あなたは男性の感謝と尊敬を獲得するだろう。

  27.(ダッド:)ファミリーにいる女性は、ややもすると、周りにいる男性と証しに出かけた時に会う男性を比べてしまうものだ。体制の男性は、あなたのために喜んで何でもするように見える。彼らはあなたをもてなし、尊敬する。それなのに、ホームであなたの周りにいる男性たちは、まるであなたなど存在しないかのように振る舞うことがよくある。これは多くの女性にとって試練となっており、私はそれを残念に思う。ファミリーの男性があなたたちをもっと良く扱ってくれたらと思う。あなたたちが愛されていないと感じたり、ファミリーを出ないとあなたを良く扱ってくれる男性を得られないと感じる時、私はとても悲しくなる。これはあるべき状態ではないし、私や主がファミリーに望むあり方でもない。

  28.だが、比べたり落胆したりするよりも、周りの男性のために祈りなさい。彼らがあなたにもっと良い扱いをすることを学ぶように祈り、あなたの方から、彼らに、愛され、感謝されていると感じさせる方法を探しなさい。

  29.(ダッド:)この地上には、女性にけなされるのを好む男性は一人もいない。だから、男性に愛されたければ、男性を正しく扱う方法を学ばなければならない。ファミリーの男性は素晴らしくて、謙遜になり、マッチョではなく主の花嫁になれるよう、主が常に彼らの人生に働きかけている。だが、たいてい男性はプライドが強く、女性の接し方が祈り深くなく、愛情深くないなら、そのプライドは簡単に傷ついてしまいうる。もしあなたが、男性はもっと謙遜で自分の分をわきまえる必要があると感じるなら、それは主とシェパードに任せなさい。男性を謙虚に保つために人生に働きかけるよう主に求めなさい。ただし、女性よ、あなたがその役目をしようとしてはいけない。

  30.女性よ、知性の面でも、さらには肉体的な面でも、あなたが元々どれだけの能力があるかを証明しようとして男性を見下すなら、彼は嫌気がさすだろう。男性はあなたと興味深い会話を交わしたい。そして、中には少々タフで、あまりひ弱でなく、か弱くない女性を好む人もいる。だが、男性よりも頭が良いとか、その男性よりももっとよく知っている、もっと経験がある、さらには肉体的にその男性よりも何かがもっとうまくできると証明しようとするのは、男性の心を勝ち取る方法ではない。

  31.女性よ、会話に口を挟み、他人の前で男性と反対意見を言い、その男性があなた好みでないことを他の女性の前で批判するなら、いったいどうやって男性から愛され、愛情深くされることを期待できるのか? 自分が扱われたいように男性を扱うなら、男性を保っておくのがもっと簡単だろう。

  32.あなたは、それが自分の性格だと感じている。どうしてもそうしてしまう、自分にぴったりの男性はそれでも自分を愛してくれるだろうと。そう、そうかもしれない。だが、これらのことを今学んでおけば、いったんそういう男性を得た時にその人との関係には嵐がずっと少なくなるだろう。そして、今周りにいる男性に接する正しい方法を学んでおけば、彼らとも大いに楽しむ助けになるだろう。

  33.男性よ、手にキスされるのが大好きな女性もいる。それは謙遜で気品ある行為で、非常に紳士的だ。女性はたいていそれが好きで、それを感謝する。それに、誰でも時々手にキスできるものだ。時々試してみると良い「コツ」なのだ。ディナーで皆が座り、手をつないで祈る時、女性の手を握っているなら、祈った後に手にキスをしなさい。ちょっとした行為だが、これは愛を示すスイートな方法だ。

  34.「アイ・ラブ・ユー!」「あなたを感謝しています」「あなたのことを主に感謝しています」と言いなさい。愛の言葉を語り続けなさい。言葉は時々、女性にとって他の何よりも効き目がある。特に、愛と優しさ、意味、誠実さをもって語っているなら。

  35.そして女性よ、これは男性にも言える!

  36.たいていの女性は、新しいドレスや服を着たり髪型を変えたりして、男性のためにおめかしをした時に気づいてもらうのが好きだ。女性は、男性が自分の容姿のちょっとした所に気づいてくれ、心からほめてもらうのを喜ぶ。

  37.たいていの女性は、レディーとして扱われ、優しくされ、個性を尊重されるのが好きだ。女性は、この世の多くの男性が女性に対してするように、「セックスの対象」として語られたり、扱われたりするのは好きではなく、容姿であれ内面であれ、自分独自の個性や魅力について心からの言葉をかけられると良い反応を示すものだ。

  38.男性が女性に対して礼儀を示す昔ながらの方法が一つある。それは、女性のために車のドアを開け、閉めてあげることだ。あるいは、椅子を引いて座らせてあげる。行為自体は大したものではないが、彼女は女性として思慮と余分の配慮を受けたことを感謝するだろう。

  39.男性が家周りでしてくれる色々な小さな事柄やビジネスをしてくれることで、あなたがそれを心配しなくてすむことを感謝しなさい。

  40.異性のために特別な感謝の夜やパーティーを開きなさい。男性のために一回、女性のために一回と。

  41.女性よ、男性の意思表示に対して感謝を示すことで、賞賛を受け入れなさい。「ありがとう。そんなことを言ってくれるなんて、優しいのね!」などと言いなさい。どの言葉が一番適切であれ、男性が謙遜なことをし、あなたをほめようとしているという努力を認めることを言いなさい。彼の言う通りと思うかどうかは関係ない。男性よ、女性からほめられた時もそのようにしなさい。

  42.女性は外見を気にしない男性に対して、彼は私のことをそれぐらいしか気にかけていないのだろうかと思う。

  43.男性が女性に示せる最も簡単な礼儀の一つは、清潔な身なりだ。

  44.多くの男性は女性をからかったり女性とふざけたりするのが好きだ。ふざけたり、時には騒々しくなったりするのも楽しいものだが、いつも女性の周りでそのように振る舞うのは良くない。常に女性をそのように扱うのは、尊敬と愛の欠如の現れだからだ。

  45.男性よ、男性が大勢いて、女性が一人か二人だけの食卓に座った時には、会話を完全に独占したり女性の存在をすっかり忘れたりせずに、女性も会話に含めなさい。確かに、多くの場合女性はあなたがたと同じような話題には興味がないだろうが、あなたは女性を会話に含め、女性にとっても興味ある事柄を話すよう務めるべきだ。

  46.女性にも同じ事が言える。友達と一緒に座っていて、一人か二人しか男性がいないなら、女の子のおしゃべりばかりしないように気をつけなさい。それは男性にとって全くもって退屈だ。やりたいこと、話したいことの視野を広げて、異性をもっと会話やアクティビティーに含められるようにしなさい。長い目で見て、あなたにとってももっと楽しくなり、バラエティーも増すだろう。

  47.男性も気まずい思いをするということに気づいている女性はそう多くない。男性は公の場で気まずい思いをさせられることをうまく扱えず、小さく思える事柄でもとても大きな事になりうる。男性はあまり繊細でないように見えるかもしれないが、心の中で傷ついていないというわけではない。だから、他の人たちの前で男性を気まずい思いにさせるようなことを言ったりしたりしないよう気をつけなさい。

  48.男性が女性にナイスなことをしたなら、感謝しなさい。何かを持ってあげようと申し出たなら、たとえ自分でできると思っても、そうしてもらいなさい。男性が紳士的になろうとするのを妨げないなら、彼らは自分も紳士なのだと励まされるだろう。

  49.誰かが食事に来ていないか遅れているのに気づいたなら、その人のために食事を皿に取っておいてあげなさい。

  50.(ダッド:)女性にほめ言葉をかけたい時には、彼女の真の美しさを示して下さいと主に尋ねなさい。彼女が魅力的なのはきれいな服や上手なメーキャップのせいだけなのだろうか? あるいは、彼女の目を見つめる時に見える、美しく、かわいらしい、女性的な資質がなければ、それらのものは無意味なのだろうか? 何が真の美しさなのだろう?

  51.(ダッド:)女性に、彼女が美しくなろうと努力していて嬉しいと告げなさい。彼女の美しさを押しつぶすのではなく、かえって引き立てるのにちょうど良いメーキャップだと言ってあげなさい。彼女のハードワークや献身、そしてその仕事をとても良くやっていると告げなさい。柔らかい肌、輝く目、優美な身のこなしを感謝すると告げなさい。

  52.鼻や唇や目がどんなにかわいいかを言ってあげなさい。もちろん、過度に性的な言い方はしない方がいいが、主の美しい創造物を幾らか賞賛することに何ら悪い所はない。何を言うにせよ、するにせよ、浮ついたやり方や不誠実なやり方ではなく、心からしなさい。

  53.ボーイフレンドやガールフレンドに尊敬心を示すことで、愛と感謝を表しなさい。決して陰で、あるいは他の人たちの前で悪口を言ってはいけない。

  54.(質問:)これからはいつも男性が「紳士的な」方法でドアを開けたり、椅子を引いたり、女性を助けたりするのがファミリーの基準となるのですか? 忙しいファミリー・ホームでそのようなことをするのは現実的ですか?

  55.(イエス:)あまりに厳格になって、女性は男性が椅子を引かないと座って食事をしないとか、いつも男性が車のドアを開けなければならないなど、必ずそうしなければならないというのではない。だが、現在はホームにおいてこれらのちょっとした行為は存在しないも同然なので、わたしはそれらをもっと見たい。男性が女性のためにこのようなちょっとした行為を全くしないという習慣に入り込むのは良くない。また、女性が男性にそういったことを全くさせないというのも良くない。あなた自身にとっても良くないし、見本や証しにとっても良くない。

  56.わたしは完璧なエチケットを求めているのではないが、男性が時間を取って、これらのちょっとした愛の行為について考え、時々そういった状況になったら紳士的な行為をするよう期待している。そして、男性がこのようなことをする時には、あなたがた女性は謙遜になって愛の行為を受け入れるべきだ。あなたがた男性に、これらの事を実行する準備ができておらず、慣れていないなら、「富者に手を伸ばす」などの状況になったら、本当に誰かの気を害するかもしれない。女性についても、もしあなたがたがそのような紳士的な行為を受け入れるのに慣れていないなら、同じ事が言える。

  57.いつもいつもこのようなことをする必要はないが、できる時にはそうする習慣をつけなさい。たとえば、ホームでスペシャル・ディナーをしているなら、男性は女性のために椅子を引くよう努力できる。あるいは、妻やガールフレンドを特別の夕食や外出に連れて行くなら、彼女のためにドアを開けてあげなさい。あるいは、誰かに愛と感謝を示すために余分の努力をするようわたしがチェックを与えていると感じる時には、いつでもそれらのことをしなさい。だが、もちろん、できる限り頻繁に紳士的になる習慣をつけたいなら、女性のために椅子を引いたりドアを開けたりなどを、いつでも頻繁にしなさい。

  58.これについて律法の文字的になるべきだというのが要点ではないが、わたしは、異性間でのこういったちょっとした愛の行為が、ファミリー内で今よりももっともっと広まるのを見たい。そして、これはドアを開けたり椅子を引いたりといったことだけでもないのだ。女性のために何かを持ってあげようと申し出ることや、道の危い側を歩いてあげるとか(車に近い方)、公共の交通機関に乗る時に女性に手を貸してあげるなど、ありとあらゆることがある。愛を示す方法はとてもたくさんある。だから、それらのことをする努力をしなさい。

感謝

  59.功績を受けるべき人に功績を与えなさい。他の人が関係する何かについて感謝されたなら、つまりそれは誰かのアイディアで、あなたが実行を助けたとか、裏で誰かが何かが為されるのを助けたのであれば、それにふさわしい人に必ず功績を与えなさい。功績を独り占めにしてはいけない。自分で賞賛を受け入れておきながら、他の人たちの助けや良いアイディアを認めたり功績を与えたりしないのは非常に悪いマナーであり、愛の欠如の表れだ。

  60.本人がそこにいるかどうかは関係ない。いなくても、「このほとんどの仕事をした誰それに神の祝福があるように」とか、「アイディアを出してくれた誰それのおかげだよ」などと言って、その人がいないところでも功績を与えるべきだ。しばしば、本人がいない時に与えられた功績が、後でそれを聞いた時、その人にとってもっと意味があるものだ。

  61.(ダッド:)犬を洗ってくれる人や、プロビジョンの品を片付ける人、祈りの時間を計画する人、コンタクトを養う人など、人々の貢献に気づけるよう、主に助けを求めなさい。彼らに感謝できるようにだ。

  62.(あるファミリー・メンバーからのコメント:)「私の友達はほとんど感謝を受けません。一度、ホームのために一人で天板に7枚分のラザーニャを作り、一日中キッチンで立ち仕事をしてホームのためにナイスな食事にしたのに、彼女にかけられた言葉は、『もっとないの?』だけでした。これはひどいと思います。色々なホームで、私にも同じようなことが起こりました。もしかしたら、ホームをうまく行かせ、運営している人たちに感謝するのを忘れるというのは普通のことなのかもしれません。何が原因なのでしょう。私にわかっているのは、それが間違っているということだけです。」

  63.(ママ:)アーメン。それは間違っています!  とても悲しいことです。もうこのようなことが起こらないよう願います。どうか、あなたの人生を良くしてくれている人たちに感謝の気持ちを表す方法を学んで下さい。

  64.できるなら、具体的に感謝すると良い。その方が、何か漠然とした言葉よりももっと意味深いことがよくあるからだ。たとえば、ホーム全体でもプレイズタイムのアクティビティーのために誰かが時間をかけてGNにある賛美のアイディアを調べたなら、「プレイズタイムを導いてくれてありがとう」と言う代わりに、「『彼の立場に立って』のプレイズタイムのアイディアを試してくれてありがとう。インスパイヤリングだったよ」などと言うといい。

  65.けれども具体的なことを考えたり思い出したりできなくても、それを感謝しない言い訳にしてはいけない。一般的な感謝も、全く感謝しないより良く、それも受け取る人の励みになり、元気づけられる。

  66.一番の感謝は、心からの誠実な感謝だ。だが、オウムのように繰り返す感謝しかできないと感じるなら、それでさえ、何もないより良い。感謝を表し、その人にお礼を言うために何かを言ったという事実には、たとえ自分の思っていることをもっと個人的に、具体的に言い表すことを学んでいる所だとしても、それでもその人を愛そうと努力していることが表れる。

  67.感謝は単純なものでもよい。ただ、「お皿洗いを一生懸命やってくれてありがとう」とか、「今日、JJTを手伝ってくれてありがとう」、「ミニストリーを通してファミリーの祝福になってくれてありがとう」などと言うだけでもよい。流ちょうでなくても、莫大な語彙を持っていなくても、熱心に感謝を表す人になれる。

  68.感謝は:

  *比較的与えるのが簡単だ。

  *愛を示し、団結を増すための実際的な方法。

  *感謝を受ける人に、必要とされ、自分は価値ある仕事をしていると感じさせる方法。

  *人々との関係を改善してくれる、単純で愛情深いステップ。

  *誰かの容姿をほめること。

  *誰かがしてくれたことにお礼を言うこと。

  *誰かが愛され、感謝されていると感じられるよう、立ち止まって時間を取り、さらには格別の努力を払うこと。

  *それが実際に役に立つ時や簡単な時だけでなく、自分にとってやりづらい時でさえも、愛の言葉によって手を伸ばすよう一層の努力をする。

  *さらに良くやりたいと人々に思わせる、ポジティブな影響。

  *誰かを落胆や退屈さから引き出し、再び人生に活気を与えてくれる、霊を高める力。

  *鍛えられ、使われるべき筋肉。使うことによって強みとなる。

  *違いを脇に置き、愛と気遣いの霊において一致団結するための手段。

  69.感謝は、あなたと、よそよそしく感じる人との間に愛を生じさせ、また取り戻させる。

  70.時として、励ましや感謝の言葉を語ることは難しいものだ。それを言うには謙遜さが必要なので、難しいのだ。だが、いったん始めるならどんどん簡単になっていき、しばらくすると自然に思えるようになる。

  71.あなたの助けなしでは、わたしは周りにいる人たちに手を差し伸べることができない。

  72.わたしは他の人たちが愛され感謝されているように感じるかどうかについて、一人一人に責任を問う。

  73.感謝とは、装わなければならない大それた見せかけや行いではない。感謝は、他の人の小さなことに気づき、それをほめてあげることに表れる。それは、無関心のまま誰かを通り過ぎず、彼らに挨拶をし、手を差し伸べ、アフェクションと感謝を示すチャンスを逃さないことだ。

  74.どんなに古くさいと感じても、どんなに謙遜にさせられても、感謝は他の人たちにとってとても大きな意味を持つ。

  75.あなたはあまり流ちょうに話せるよう感じないかもしれない。でも心からの愛と感謝は人に伝わり、彼らはそれを感じる。

  76.ややもすると、毎日の生活の大変さに巻き込まれ、自分のすることは本当に違いをもたらし効果が出るのだろうかと考えるものだ。だが、もし人々が感謝を口にする時間を取るなら、あなたの仕事に活気を取り戻す助けとなる。

  77.誰かについて感心する点を見つけたなら、ただ何もせず無言で感心しているのではなく、それを言葉にしなさい。あなたがどう考えているのかを知らせなさい。

  78.励ましと感謝のスピリット・ヘルパーを呼び求めなさい。そうすれば彼らはあなたの人生のこの面で上達するのを助けてくれる。

  79.感謝を与えることについて不足していると感じる面があるなら、何であれ、わたしはそれをくつがえすことができる。

  80.誰かに優しいことを言う時間を取りなさい。あなたにとってはばかばかしいと思えるかもしれないが、もしかしたら、その時、その人は、まさにその言葉を必要としているかもしれず、あなたは自分では知り得ないほどその人の助けになっているかもしれない。

  81.(ダッド:)あなたは一人一人の人を、主のような見方で見られるようになるべきだ。ポジティブな点、良い点を見て、それを言う必要がある。ネガティブな点を見ないというのではないが、それを大目に見る必要がある。ポジティブでないことばかり考えていては駄目だ。

  82.人々には問題やうっとうしい性質があるものだが、多くの場合、あなたが彼らに対してポジティブな態度を取るなら、彼らがそういった問題を克服する助けになるか、そうでない場合ほど問題に重点が置かれなくなる。

  83.謙遜と愛の鍵は、感謝という秘密の部屋の錠を開け、仲間たちが持っている素晴らしい資質が見えるようにさせる。

  84.(ダッド:)一人一人について、感謝すべき所はどこかを主に尋ねなさい。主の目が開かれているように、あなたの目も開いてその人の真価が見えるようにして下さるよう、主に求めなさい。いったん感謝の道を進み始めるなら、決して後戻りはしないだろう。

  85.(ダッド:)感謝を受ける側の人は、謙遜になって相手の人の行為や言葉を快く受け入れ、その人が一歩踏み出して感謝を示すには努力を要したことを理解する必要がある。感謝を受け取るのを拒むのは、感謝を与えようとしないことと同じだけ悪い。両方の側で謙遜が必要だ。感謝を与える時も受け取る時も、あなたはその人に対して主の愛になっている。

  86.誰かのあまり明らかでない資質に対して感謝の言葉を言う時、あなたがそれについて祈り、その人が持っている良い資質について考えたことが表れる。

  87.(ダッド:)小さなことへの感謝も同じだけ重要なことがよくある。たいていの人は、何か大きなこと、目立つこと、見逃しにくいものに感謝し、お礼を言うのは忘れない。だが、多くの人は、小さな事柄について感謝したり、お礼を言ったりする時間を取らないものだ。それに気づくには、もっと努力や洞察力が必要だから。だが、だからこそ、感謝を受ける人にとって、それは大きな意味がある。だから、大きなことと小さなことの両方を感謝するようにしなさい。

  88.忠実さは、献身、ハードワーク、そしてしつけを要求する。あなたは忠実さの実を見ることはできるが、よく見ることができないのはその忠実さの背後にあるものだ。それは、物事を秩序立てて正しく行うというコミットメントだ。あなたは最近これについて、仲間であるメイトたちに感謝を表しただろうか。

  89.もし誰かに感謝を示すことで忙しくするなら、彼らを批判し欠点を見つける時間はなくなる。

  90.もっと感謝に満ちた態度を持てるようわたしに助けを求めなさい。その賜物と感謝の鍵をわたしに求めなさい。

  91.(ダッド:)あまり経験がなく、あまり得意でないからといって、今日からもっと感謝に満ちた態度を示せないと思わないでほしい。どこかで始めなければならないのだから、その信仰のステップを踏みなさい。誰かに、その人について何を感謝しているのかを告げなさい。その人に言う何か具体的なことを主に尋ねなさい。大それたことでなくてもいい、ただ何かシンプルで誠実なことでいいんだ。

  92.クックに拍手することで、感謝を示しなさい。

  93.(ダッド:)体の不自由な少年トミーの話を覚えているかな? 彼はその状況によって主のためにたいしたことはできないと感じたが、それにも関わらず他の人に愛をあげるために自分のできることをした。あなたたちは皆、トミーのようになれる。言葉、微笑み、優しいまなざし、優しいタッチ、ハグ、キス、聞く耳、悩みを聞く相手になる、アフェクショネイトにぎゅっと抱きしめる、肩をポンとたたく、手にキスをする、顔に触れる、あるいは人の努力を認め、感謝する簡単な言葉によって、通りがかる人の心に小さな愛を落とすことができる。

  94.(ダッド:)誰かについて良いことを考えたなら、それを言いなさい! そして、他の人について良いことが頻繁に思いつかないなら、祈って主に助けを求めなさい。そうすれば主は助けて下さるだろう。

  95.感謝の気持ちと感謝を表すことは、親切と愛の種に水をやり、それらをより多くの愛と親切の行為に成長させる。感謝の不足ほど、親切や礼儀の行為を殺すものはない。人々は燃え尽きてしまうのだ。そしていったん誰かが燃え尽きると、またやってみようという気になるまで、しばらくかかることがある。

  96.これらを感謝しなさい・・・

  *母親、ティーチャー、チャイルドケア・ヘルパーが、ホームに大きな喜びをもたらすわたしの小さな者たちのために人生を捧げていることゆえに。

  *毎日多くの困難や戦いに直面しているにも関わらず、わたしのメッセージを出し、失われた魂や助けを必要とする人たちを養い、彼らに仕えるために一日中外に出ているウイットネサーのために。

  *ホームにいる一人一人の何かゆえに。立ち止まって、彼らが何をしているかを考えるなら、彼らに感謝する場や、感謝する理由が見つかるだろう。

  97.他の人たちの感謝の気持ちや感謝の言葉を受け入れなさい。ほめ言葉を拒むのではなく、大切に扱いなさい。ほめられたり感謝されたりすると気まずく思うかもしれないが、それを謙虚に、感謝して受け取るのも愛の内だ。あまりにも抵抗して自分がどんなに罪人か、何を受けるにもどんなに値しないかを言い過ぎるなら、あなたは彼らが与えようとしている愛の贈り物を否定することになる。また、相手にとっても、あなたが今、そのような愛の贈り物や感謝にそれほど抵抗するなら、将来、それを与えるのがもっと難しくなる。

  98.世界中の賞賛や励ましも、ただ考えているだけなら、何の役にも立たない。

  99.誰かがしている何かは「その人の仕事」かもしれないが、それでも「ありがとう」と言い、努力と働きを認め、感謝の気持ちを表すのは大切だ。

  100.その人が恥ずかしがり屋で、公の場で感謝すると面食らうと知っているなら、プライベートな場で感謝しなさい。その逆もある。その人が注目を浴びるのを気にしないなら、構わず公の場で感謝しなさい。あるいは、感謝の手紙を手書きするか、Eメールを送るのも、その人にとって一番意味があるかもしれない。あるいは、お茶、ハグかもしれない。どのように感謝されるのが好きかを知りなさい。個人的に尋ねてもよいし、わたしに聞いてもいいだろう。それから、それに従って感謝するのだ。

  101.心からの感謝を受け入れるのが難しいなら、たぶんプライドのせいかもしれない。感謝を謙虚に受け止めなさい。

  102.時として、感謝を示す一番の方法とは、「自分の言ったことを実際の行動に表す」ことだ。クックが一生懸命食事を作って、あなたがそれを感謝しているとしたら、皿洗いを手伝いなさい。誰かがパーティーに誘ってくれたなら、何を持って行ったらいいか、何を助けられるかを尋ねなさい。旅行の途中に他のホームに一晩泊めてもらったなら、掃除を手伝ったり、来た時よりもその場所をきれいにして出て行ったり、寄付をあげたりしなさい。誰かから何かを借りて、それがその人にとって犠牲だとわかっているなら、お返しに、その犠牲を感謝しそれに気づいていることを示す何かをしなさい。時には、感謝をきちんと表すには二、三の言葉以上のものが必要なことがある。特に、それが大きな犠牲か、大きな贈り物だった場合は、その人に何度も感謝し、その人に何かしてあげられるか、何かあげられるものはあるかをわたしに尋ねなさい。ただの簡単な感謝の手紙で終わりにしてはいけない。

子供に正しいエチケットを教える

  103.子供は、自分を世話してくれ、色々な所に連れて行ってくれ、自分たちのために食事を作ったり、衣服や必要な物を作ったり、あるいは買ったりしてくれる人たちに感謝するべきだ。

  104.子供は、人々にアプローチする良いタイミングと悪いタイミングを学ぶべきだ。彼らは、他の人がしていることを遮ったり、仕事の邪魔をすることをできるだけ避けるべきだ。ミーティングや祈りの時間、預言の時間、人々の休みの日、親のクワイエット・タイム、その他、人々が何かに集中していて、平穏さと静けさを必要としている時間を尊重するよう学ぶべきだ。彼らはそのような時に静かにしているか、それが適切なら家の別の所に行くことを学ぶべきだ。また、どのような会話に加わるのが適切で、どれがそうでないかを学ぶべきだ。

  105.子供が時間の価値とスケジュールの大切さを学ぶなら、彼らは他の人たちの時間やスケジュールを尊重することも学べるだろう。

  106.子供に、もらった贈り物やごちそうを感謝するよう助けなさい。それらものを軽く見たり、「もっとほしい」というえり好みの霊にならないようにするのだ。

  107.中には、子供に丁寧さや礼儀を教える価値があるのだろうかと思っている人たちがいる。負け戦であり、ホームの他の人たちはそれをしていないのだから、子供にそれを期待することもできないと感じるのだ。それでも構わず教えなさい。

  108.子供は誰かが挨拶したり、話しかけてきたりした時には、適切な応対をするよう教えられるべきだ。

  109.子供は幼い頃から、掃除を手伝ったり、他の人たちのためにホームをナイスにするために自分たちにできることをするよう学ぶべきだ。たとえば、少なくとも自分の皿を洗い、時には他の人たちの皿もあらってあげる。あるいは、遊び終わったらおもちゃを片付ける、自分たちが見た映画の後にソファーを動かすのを手伝うなど。幼い頃から必要に気づくのを学び、責任を教えられた子供たちは、そばにいて喜ばしいものだ。

  110.(質問:)子供により良いマナーを教えるための良い方法には、どのようなものがありますか?

  111.(イエス:)子供が良いマナーを身につけるのに最も効果的な方法をわたしに尋ねなさい。たとえば、良いテーブルマナーを教えるプッシュをしているなら、ままごと遊びで練習するのが効果的かもしれない。

  112.あるいは、大人が料理して、子供のためにウエイターやウエイトレスをし、子供は高級レストランにいるかのように良いマナーで食べるよう求められる、特別なディナーをしてもいいかもしれない。ナイフやスプーンを正しい場所に置いてテーブルを正式にセットし、食事をコースで出しなさい。あなたが住む市や国では何が良いマナーで何が悪いマナーかについて、前もって子供たちを備えておき、彼らにスキルを試させなさい。

  113.食事の後のクラスの時間に、良くできた点や、良くできなかった点について話し合うこともできる。そして、これから先の食事の時には、もっと良くやり、弱い面に働きかけるように努められる。進歩を表にしなさい。

  114.あるいは、自己紹介をする時や、証しに行っている時、友人や羊、コンタクトを訪問している時の良いマナーを子供に教えているとするなら、彼らにちょっとした筋書きを作らせてスキットを演じさせなさい。

  115.あるいは、もっと他の人たちに感謝し、感謝の気持ちを表すことを教えようとしているなら、それをゲームにしなさい。それぞれの子供が、一日に一度、ホームの一人一人に何か励ましになり、感謝に満ちたことを言えるかどうかを見てみるのだ。子供一人一人にチャートをあげて、何か親切で感謝に満ちたことを誰かに言うたびに、その人の名前の所にチェックを付けさせなさい。

子供とのマナー

  116.子供にも、大人と同じように尊敬をもって話す。子供を正す時でさえ、決していらだったり、見下したり、議論したり、無礼な話し方をしてはいけない。

  117.ややもすると、子供に命令したり、偉そうな態度を取ったりしがちだが、ただ、あなたが誰かにそのように扱われたならどう感じるかを考えてみなさい。

  118.自分にしてほしいように他の人たち(子供)にもしなさい。

  *愛情深く話す。

  *威張ったり横柄になったりしない。

  *優しく、親切になり、決して過酷な態度を取らない。

  *親切になり、気遣う。

  *子供の気持ちを思いやる。

  *子供の邪魔をしない。

  *子供が話している時には、それを遮らない。

  *子供に求めることは、全て自分にも求める。

  119.子供を見たら無視してはいけない。当然、子供が忙しいか、何かに専念している時は別だが。そういう時は邪魔しない方が良い。あなたや子供にとって都合の良い時には、子供とちょっとした会話をするようにしなさい。あるいは、できる時にはいつでも、少なくとも挨拶をして元気かどうかを尋ねなさい。子供一人一人に挨拶するよう努めることもできる。子供が大勢いる忙しいホームではいつもそれができるわけではないかもしれないが、できる時にそうしてあげるなら、一人一人の子供は自分の存在に気づいてもらい、愛されていると感じるだろう。

  120.子供に質問しなさい。スクールで何を学んでいるか、一番新しい暗記の節は何か、どんなゲームをしているかなどを。

  121.子供の気持ちをあっさり退けたり、子供と粗暴な接し方をしてはいけない。愛によって応えてあげなさい。

  122.子供に命令し、あまり説明もせずにただ子供がそれに注意を払うよう期待してはいけない。子供に何かを頼まなければならない時には、尊敬を持って愛情深くアプローチしなさい。敏感になり、優しくスイートな霊が伝わるようにしなさい。

  123.子供の目を見なさい。そして、何かを告げている時や、指示をしている時など、子供に話す時には子供の視線の高さまで下りなさい。

  124.もう少し自分の時間を取って、子供に全関心を寄せなさい。

  125.子供のアイディアを大切に扱いなさい。すぐに否定してはいけない。たとえあなたのようにすべてを理解していなくても、またたとえ彼らのアイディアは筋が通っていなくても、それでもその理由や理屈を優しく説明することができる。

  126.子供が間違いをした時や、何か少しばかげたことをした時に、子供をからかってはいけない。子供は本当に傷つくかもしれない。だからといって、何かまずいことがあった時に自分を笑い飛ばすことを教えてはいけないということではないが、識別力を求めて祈りなさい。時々、子供にはただ理解してくれる人が必要なだけということもあるからだ。

  127.子供の良い面や良い資質を見るための特別な霊の目を求めて祈りなさい。

  128.子供のいる前で話す時には、彼らの気持ちを忘れず、あなたが話していることが必ず何か良いことを証言しているように確かめなさい。子供の気持ちを配慮し、「ネガティブな」会話や、子供に関係のない一切のこと、大人だけが聞くべきことは、プライベートな場に留めておきなさい。

  129.子供にコレクションが必要な時には、状況の許す限りプライベートな場で正し、気まずい思いをさせないようにしなさい。

  130.子供を一人一人個別に正す方法を見つけなさい。「子供」として十把一絡げにしてはいけない。

  131.子供をどう扱うかによって、彼らが大切であることを子供に示しなさい。子供に求めるのと同じだけの度合いの関心を、彼らにも与えなさい。

  132.子供が何かを言いに来たなら、立ち止まって聞いてあげなさい。子供の話を聞く時には全関心を与え、彼らが言うことに反応してあげなさい。何か他のことを考えながら中途半端な聞き方をして、自分のやっていることを続けてはいけない。

  133.立ち止まり、子供の存在を認めなさい。これは子供にとってばかりか、ティーチャーや親にとっても励ましになる。そうすれば、彼らは子供を訓練するという仕事が大切だと感じるだろう。

アフェクション

  134.他の人に過度に触れる必要はないが、ちょっとした方法で愛を与えなさい。誰かがそっと触れたり、肩に腕を回したり、背中をポンとたたいたり、ハグやキスをする時、それは大きな意味を持つ。こうした小さな行為が、どれだけ気遣っているかを表す。

  135.アフェクションがなければ団結は崩れるが、アフェクションは団結を強める。

  136.(ダッド:)アフェクションは・・・

  *イエスが流れる回路。

  *希望のきざし。

  *いやしの軟膏。

  *回復をもたらす。

  *超自然的。

  *神がそのしもべを直し、回復させるためのメカニズム。

  *生きる上での原則。

  *基本的な必要。

  *神の腕。

  *神の優しさ。

  *信仰の抱擁。

  *霊と霊との交わり。

  *愛の力に、信仰を力強く確認すること。

  *天国の愛と感謝のレベルの高い形態。

  *希望の現れ。

  *強力な証し。

  *電気のよう。

  *内なる光をつけるスイッチ。

  *鳥肌が立つよう。

  137.アフェクションは、傷ついた人、さらには死にかけている人をもいやせる。

  138.アフェクションには物事を変える力がある。それには大いなる霊的力がある。

  139.形式式なハグより、暖かいハグや愛情深いタッチをあげ、安心させるようにポンとたたき、「あなたならできるよ」と伝えなさい。

  140.いつもアフェクションを与える側で、決して受け取ることがないなら、しばらくすると落胆し、人々はあなたがハグを求めているからハグしてくれるだけで、あまりハグしたくないのだと考えるようになる。だから、全員がアフェクションを与える側と受け取る側になるのが大切なのだ。受ける必要があると感じなくても、それでも与える側になる努力をすべきだ。なぜなら、それは周りの人を励まし、愛されていると感じさせるから。

  141.少なくとも2人にハグをせずにはミーティングやデボーションから去ってはいけない。ハグを避けようとしてこそこそ出て行くのはだめだ。

  142.一言かける、挨拶する、腕をポンとたたく、あるいは何かその人の存在を認める愛の行為をせずには、どんなファミリー・メンバーの所も通り過ぎることのないよう、わたしに助けを求めなさい。

  143.(ダッド:)人々が孤独で、誰も愛してくれないと感じるのが理由でファミリーを去るのは、とても悲しいことだ。ファミリーは愛のファミリー、誰もが愛され、世話されていると感じる場所であるべきだ。だから、どうか他の人がその愛、共に暮らしている人との団結を感じられるよう、格別の努力をしようではないか。一人一人が周りの人にとって自分は大切なのだと感じるよう、確かめよう。

  144.「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」という言葉をよく考えなさい。あなたはその人を扱うようにわたしを扱っている。その人に対するあなたの反応は、わたしへの反応だ。その人をどう抱きしめ、どのように格別の努力を払ってあげ、求めに応じてあげるかは、あなたがわたしにどう反応し、どう扱うかなのだ。

  145.アフェクションは威圧的で利己的にもなりうる。あるいは・・・

  *個人的な理由が何であれ、肉体的なアフェクションを受け取ることをあまり快く感じない人には、アフェクションを控えめにして与えることもできる。

  *視線、優しく理解しているというまなざしやほほえみ、手を軽く握る、わかっているよとうなずくことによって伝わる。

  *立ち止まって耳を傾けることで伝わる。

  *理解し、思いやりを持つための力をわたしに求めることで伝わる。

  146.(ダッド:)もしアフェクションを与えることがあなたたちの何人かにとってとても難しくても、それがプライドをやっつけ、比較的簡単な方法で大飛躍を遂げる助けになるなら、あなたはそれに飛びつくだろう? さて、事実、アフェクションはそのすべてと、それ以上の効果がある。主の望まれる方法でアフェクションを実行するなら、あなたはより十二分に所有され、プライドとの戦いにおいてより大きな助けが得られ、間違いなくより大きな団結がもたらされる。

  147.(ダッド:)イエスの周りにいる人たちが主の愛を感謝しなかったゆえに、神の愛の力は衰えただろうか? いや、絶対にそうではなかった。だから、おそらく他の人たちが恥ずかしがり屋か、自分について否定的に考えているか、あるいは自分の身体に自信がないか、アフェクションに溢れた家庭に育っていなかったか、よそよそしい性格なのか、理由は何であれ、あなたの愛やアフェクションを感謝していないように見えても、あなたが愛を与えたことの功績は減るのだろうか? いいや、絶対にそうではない! 愛がいつも戻ってくると期待してはいけない。ただ与え続けなさい! 彼らはイエスが愛を与えたゆえに、つばを吐き、打ち、殺した。あなたが愛を示してもそんなことは起こらないが、もしそうされても、それはあなたが主のようであることを示すことになる。

  148.愛と励まし、アフェクションを与えることは、周りに移っていく。誰かにそれをあげて、その人が愛されていると感じるなら、その人にとっても、誰か他の人に与えるのが簡単になる。そうやってサイクルが続いていき、ついには全員が愛情深く、喜んで与えるようになり、全ての人のために十分あるようになる。

  149.(ダッド:)時々、肉体的な理由で誰かにハグしにくくなる時がある。たとえば相手の口臭や体臭、無精ひげ、髪の毛が油っぽく、臭う、靴や服が臭う、歯がねとねとしていてもう少し歯をよく磨く必要がある、いつも汗をかいているので、もう少し頻繁に風呂に入ると身体がきれいになる、あまりにきつくハグするので痛い、などだ。これらの事柄が愛情深いアフェクションの障害になり続けないよう、祈って主に尋ね、どうすればこういったことを愛情深く本人に言えるかをホーム・シェパードとカウンセルしなさい。

続く

Copyright ? 2006 by The Family International.

Art by Tamar.